徒然なるままに
 
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猫じゃれ草
第6回

 徒然なるままに、文化交流美術展の授賞式・晩餐会の席の事。

 突然の受賞の挨拶をと言われた。言われたままに、「ニュ-ジ-ランドに行きましょうという事になったとき、私の友人達は、核の問題についてきちんとした姿勢を持った国である事、自然保護について如何に進歩的な国であるかという事を教えてくれました。私はそういう国に住み支えている普通の人達と同じ空気を吸ってみたいと思いました。そしてやってきました。私の猫たちは、猫ではあるけれども、例えばアンザス軍事同盟においてのニュ-ジ-ランドの毅然とした姿勢のニュ-スを耳にした時拍手喝采のできる猫、例えば世界のどこかで悲しい出来事が起きたとき心悩ます猫、そういう猫たちが描きたいです。初夏のはずのクライストチャ-チは、ずっと雨のち曇りのち雨のちの連続でした。ニュ-ジ-ランドで月と南十字星とであうことは、私のひそかな楽しみでありましたが、明日には帰りますから、それは叶いそうにありません。しかし、素晴らしく美味しい、清くて美しい水を護るクライストチャ-チの人達の心の水に住む月と出会えました。目に見えない月と交感できたことは、たぶん目に見える月と出会う事よりもすばらしく嬉しい事です。感謝します。ありがとうございました。」と、率直にご挨拶申し上げた。即座に、すでにご挨拶の済んでいる市長さんが立ち上って「CHIZUKOに報告したいことがあります。」と、お話された。

 「第2次世界大戦において、不幸にも日本のHIROSHIMAに原爆が投下された悲しい出来事を私達は忘れる事はできません。8月15日には、私達は、HIROSHIMAで被害に遭われた方々に哀悼の意を捧げ、そして世界中のどこにおいてでもHIROSHIMAと同じ悲しい不幸な出来事が起こりませんようにと、クライストチャ-チ大聖堂の鐘を鳴らして祈ります。このことは、今まで35年間続けてきた事だし、勿論これからも続けていく事です。」という事であった。この事は、私は初めて知ったことであったし、なによりも私たち日本の広島のために、思いを寄せて祈ってくれる国があったこと、町があったこと、人々がいたことにいっばいいっぱいの感謝の気持ちと感動で頭の奥が震えた。このことを今まで知らずに居た自分が恥ずかしくてキュンと胸が痛んだ。不特定多数のそして未知の人達の平和と幸福を願い祈れる事は尊いこと。だから、私は絵を描きたいと思った。だけど、この時ばかりは己の無知さ加減の小ささに木枯らしに舞い上げられた木の葉の気持ちである。しかし再生力の強い私である。教えていただいた事知る事ができた事を最高に嬉しいと感じたのである。つづけて市長さんは、「CHIZUKOの我々の心の水に住む月のお話は、シドニ-オリンピック協力国としてのクライストチャ-チのイメ-ジの検討にいいヒントとアイデアをくれた。ありがとう。」といってくれた。広島への事を思えば。

 ユ-モアに溢れた優しい人達である。

 授賞式後の晩餐会は、ただのお食事会と化した。大きなテ-ブルをはさんでアチラコチラとおしゃべり三昧のお食事である。大概が絵のことに終始していたがカンタベリ-政府観光局長が「CHIZUKOは猫を何匹飼っているの?」と聞いてきた。夫人の「is=ness23」を見る様子から相当な猫好きに違いない。「何匹ですか?」と尋ね返すと、夫人は笑顔で自信満万にご夫婦お揃いで「4!」。私は丁寧に口元を拭いて「6!」腰に手を置いて答えた。この時ぐらい6匹の子連れである事に感謝した事は無い。訳も解らずまわりも大笑いして3時間半のお食事会は終了した。

 ホテルのロビ-でコ-ヒ-を飲んでいると、通訳の鈴木数馬君が「芸術協会の皆さんが玄関の前で月が出るかもしれないと、待っていますよ。」と、迎えに来てくれた。底冷えする中、体をこすりながらみんなで空を見上げていた。誰かが、「南極から吹く風は時々不思議ないたずらをするんだ。」と言った。その言葉を信じて願って見上げていると、厚い雲がすう-っと透明になって月が現れたのである。みんなで抱き合って喜んでくれた。出会えないと思っていた月に出会えた。この感動は忘れない。テカテカの白金の月である。この感動の下に私達はみんな永遠の友達だと言ってくれた。この感動は忘れない私達は横1列のスクラムを組んで、15分か20分ぐらいいろんなことを話しながら月を見つめていた。寒い夜のみんなの体温は、春のようだ。

 温かい。この感動は忘れない。みんなは、誰一人、「さようなら」と言わなかった。「おめでとう!おやすみ」と言ってくれた。この感動は忘れない。鈴木数馬君は「こんな事ってあるんですか。あったんですよね。めちゃくちゃ感動ですよね。そうだ!南十字星!」そういってミレニアムホテルのムコウニ走っていった。この感動も忘れない。