徒然なるままに
 
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猫じゃれ草
第3回

 O美術館Q人展が終了し,残暑長引く中IS=NESS展〔あと20日〕は、残暑以上に厳しい。

 動物愛護週間を目の前に徒然なるままに。

 今年の夏、動物虐待のニュ-スも例年より多い気がした。背中の皮を剥ぎ取られた犬、鳩、四国ではエアガンで鯉が狙われ、サンショウウオも犠牲となった。

 悲しみより憤りが先立つ。これが人間のしていること(事実)なのである。この大罪を犯した人間はどのような反省〔罪〕と責任〔罰〕を問われるのか。「器物破損」である。

 人間社会では、人間以外の生物は誕まれ落ちたその時から、差別と厳しい一生を強いられる。

 例えば、あなたの小さな親愛なる友達が行方不明になったとする。彼が血統証書を持っていて尚且つぺット屋さんからの領収書があれば、彼は「物品」として扱われ、窃盗事件として、あなたは「盗難届けの書類」を提出することができる。(但し、捜索本部が設置され、大勢の刑事や警官が動員されたという話は聞いたことがない。)

 例えば、交通事故の場合はである。区の環境清掃課の出動である。つまり、彼らは、道路を汚す汚物やゴミとされるわけである。

 心無い行為をする人間は全く理解できない〔許せないわね!)が、心無い行為をする人間を擁護する日本の社会環境も全く理解できない。この環境が小心者のサディストや人格異常者を増倍していることに気づかねばならない。悪循環である。

 この頃、「改正法案駆け足成立」が流行っている。動物愛護に関する罰則も如何にかならないものかと思う。ペット雑誌に「私の愛猫」と大物政治家の皆さんを拝見したことがあるが、一向にその思案の様子を見せないとなると、「なるほど,お手軽な選挙活動なわけね。」私は多いに誤解する。

 ヨ-ロッパの国々は、動物愛護には、きちんとした姿勢と制度を持つ。とりわけ、イギリスのRSPCA(王立動物愛護団体)は、絶大なる権力を持つ。生命ある存在を尊ぶその姿勢に分け隔てはない。戦争を国民的娯楽とする米国でさえ、弱者に対する虐待には厳しい。きちんとペットを飼えないことは虐待となる。

 ずいぶんと大昔の話であるが、ゲルマン民族は、「神が自然を創った。然るに、自然を征服することによって、我々は、自然の中の神を理解し、神と一体と成れる。神は、人間の下に自然を創ったのだから、自然に対して何でもできる。」と信じた。

 そして、多いに文化(人間社会)が発展したかもしれないと、歴史は語る。同時に、其れ故の過ちの歴史も知ることができる。それ故に、人間の言語を持たない自然〔生物〕の生存権を護る事は、私達人間の業であると思う(本来、どれが上でもない、共存できていることが当たり前なのだけれど)