アジアカップ優勝!アジアでいち番!トルシエ日本!
おめでとう!おめでとう!おめでとう!
試合後のインタビュ-、弱かったほんの2年前と違うこと。
ヘラヘラしたオニイチャン口調ではない事。これもトルシエ効果。選手もやはり「育てたように育つ」のだなと思う。スポ-ツ選手に限らず、「目的がはっきりしている。その為に何をすべきか否かはっきりしている」人達には、邪悪な隙間など無いのである。(プロ野球界はど-なっとるんじゃい!!イチロ-選手は別よ。)徒然なるままに。
母と子の在り方が話題になっている昨今である。
恥ずかしながら、我が家もヒトゴトではない。リュヌとニャンマリオの親子である。恥ずかしながら、リュヌには母親の資格が無い。リュヌは、ニャンマリオが視界に入るなり、彼女を威圧し噛み付く。叱るとワニ歩きで机の下にもぐり込む。尚且つ、唸る。
いくつか想像してみた。
1、同じ血族が一緒にいる事に、子孫繁栄の本能が警告を発している。
2、グリム仕立ての母親のように、同じく、美しく成長していく娘に、女々しい嫉妬である。
3、単なる性格異常である。
母親をなくして、母親の面影を慕いつつ、ひとりで頑張って生きていかねばならない健気な子どもと、母親は健在であるが、虐待されながらも(過保護も意思を持たされないという点において虐待と同じ意味を持つ)母親から逃れられずに生きていかねばならない子ども。
「どちらが幸せなんだろうか。」
ニャンマリオを里子に出す決心をした。里親が決まって三日間。その事を察知しているのであろうか。ニャンマリオは、いつにもまして、片時も私のそばを離れない。夜は、一緒に眠った。まるで、私の幼い頃の娘や息子と同じように。枕に2つ頭を並べて、おでことおでこをくっつけて、お布団をあごまで掛けて、一緒に眠った。寂しさなのか、不甲斐無さなのか、切なさなのか、涙がこぼれた。その時、ニャンマリオが、少し爪を立てて私の腕にしがみついた。泣けない不安な猫の気持ちの置き場所は、何処にあるのだろう。いいえ。ニャンマリオは、自分の未来を認知できている。寂しがる私に、「大丈夫、新しいお母さんもお父さんも、私のことが大好きだから。」と、安心させてくれているのだ。益々、涙がこぼれた。
「ニャンマリオ、世界中の誰よりも幸せになってね。」
ニャンマリオの愛らしい静かで優しい寝顔は、見ないでも何時でもいくらでも描ける。
多分、例えば、私の生んだ娘がお嫁に行く時は、こんなふうに思わないと思う。自立的に生きていくことの出来る人間である娘は、否応無しに、幸せであるのだから。
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